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桐花賞へテンショウボスを出走させる佐々木修一調教師インタビュー

佐々木修一調教師
●(深田)今年一年、テンショウボスは見事な活躍でした
○(佐々木修)本当によく頑張ってくれました。昨年のこの時期はまだナンバー3という立場でしたし、オウシュウクラウンにはとても勝てないと思っていましたからね。もちろんデビュー時から期待していた馬でしたが、4歳になってここまで結果を出してくれるとまでは思っていませんでした。
 川崎記念後に笹針をして休ませたあと、シーズン初戦の栗駒賞がマイナス22キロで5着に負けたのですが、そのあとのエクセレント競走を勝ったあとは軌道に乗りました。

●暑い夏場もグレードレースで入着するなど頑張りが続きましたし、途中休養が入ることもなくタフに走りました
○冬にオフシーズンが入りますし、夏から秋にかけて大きなレースが続きますから厳しいローテーションになりましたが、昨年のベルモントシーザー同様、グレードレース3つに出走できましたし、JRAの馬にはかないませんでしたが、入着まできてくれました。青藍賞はサイレントエクセルに敗れましたが、あのときは出遅れがあって敗因がハッキリしていたし、地元戦ではほぼ申し分のない成績といえるでしょう。

●充実した状態でオウシュウクラウンを倒すシーンも見たかったですが
○ ライバルがいなくなったという意味で、楽になったというのは確かですが、最後の直線に向いてオウシュウクラウンを差し切るというシーンは想像しますね。強い相手と戦うことで、自身もより強くなっていきますから。

●その意味でミツアキタービンと戦ったオッズパークグランプリは強かった
○11月はオッズパークグランプリが急遽できたことで、中1週が続きましたが、時計を0.8秒も詰めてのレコード勝ち。強いミツアキタービンが引っ張ってくれたこともありましたが、あのレースが今年のベストレースと言えるのではないでしょうか。

●以前は盛岡の方が合うといわれた時期もありましたが
○クラスターカップやオッズパークグランプリを見ていれば、水沢コースが特に不得意ということはなさそうですね。距離は1600mあたりがベストで、北上川大賞典などは力でこなしてくれたと思っています。ただ、広いコースの方が良いことは確かなはずで、そういう舞台でまた強い相手と戦ってみたいですね。

●では一年納めの桐花賞に向けての抱負を
○北上川大賞典のあとは1ヶ月の間隔が取れましたから、前回以上の態勢で臨めると見ていますし、キッチリ結果を出して1年を締めくくれたらと思います。

【インタビュー・文/ケイシュウニュース 深田桂一】
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祝!小林俊彦騎手3000勝、菅原勲騎手3500勝達成

 すでに各方面で取り上げられているように、12月1日(土)第8レース(ラビットジーズニ)で小林俊彦騎手が地方競馬通算3000勝、翌2日(日)第1レース(イッキイチユウ)で菅原勲騎手が3500勝を達成した。
小林俊3000勝
(12/1 8R 小林俊彦騎手地方通算3000勝達成)

 冬期休養がある東北以北で2人の3000勝ジョッキーがいることは奇跡に近いこと。地区のトップジョッキーは日本、いや世界でも通用する―。これは安藤勝己騎手、岩田康訓騎手の例を引き出すまでもなく、日本一小さい益田競馬場から飛び出し、ムチ1本を持ってマレーシア、シンガポールへ単身で長期滞在。同国でリーディングジョッキーの座に就いたこと、また内田利雄騎手が短期所属替えで全国を股に渡り歩いて活躍しているだけではなく、今年冬のマカオ遠征でも大絶賛を浴びていたことでも証明している。決して他のジョッキーが下手ではない。すべての面で特出しているからこそ地区のトップジョッキーの座につけるのだと。間違いなく菅原勲騎手、小林俊彦騎手は岩手の至宝なのである。
菅原 勲騎手3500勝
(12/2 1R 菅原 勲騎手地方通算3500勝達成)
 
 実はこの両騎手、対照的な足跡を残してきた。一つの例を挙げてみよう。
 菅原勲騎手のデビューは1981年10月17日。テンマスリーに騎乗3着だったが、2日後の19日4戦目で早々と初勝利を飾った。しかもデビュー翌年にはスーパーライジンで東北ダービーを優勝するなど、常にスポットライトを浴びながら騎乗年数を重ね、地方競馬通算1000勝達成は11年目の92年7月、トモラッキーの5544戦目。そして98年11月、岩手では史上初の2000勝(9273戦目)ジョッキーとなった。
 翌年99年にはメイセイオペラに騎乗して地方所属馬で初の中央G1(フェブラリーS)制覇のほか、G1を3勝。トーホウエンペラーでもG1で2勝マークした。その前後にはマカオ、マレーシアなどに遠征してクアラルンプール・セランゴール競馬場で岩手騎手として初の海外初勝利をあげるなどしている。リーディングジョッキーにも通算10度も輝いている。

 一方の小林騎手は82年10月16日、ホクトカザン(6着)でデビューしたが、初勝利までには若干時間がかかり翌83年4月9日、36戦目のハーバーパルクでようやく片目を開けた。
 それでも当時はなかなか白星を積み重ねることはできず、通算100勝まで1252戦目(菅原勲騎手は703戦目)。そして1000勝目はデビュー13年目のアルファファルコン(6244戦目)だったが、その後は毎年のように驚異的な数字を作り、05年には年間215勝の年間新記録を樹立した。
 前後するが、小林騎手の通算2000勝は10700戦目と菅原勲騎手との差を一気に詰め、リーディングジョッキーは昨年まで3年連続を含め、通算5度。毎年、ハイレベルでリーディングジョッキーの座を争っている。
 
 こんなエピソードを取り上げてみよう。奇しくも両騎手ともマカオで騎乗したことがあるが、現地の関係者がこう小林騎手を評価した。「スタート、レースセンスともすばらしい。マカオに長期滞在したらトップジョッキーは間違いなし」と。
 そして菅原勲騎手の特長は名馬とのコンビで語られることが多い。古くはグレートホープ、トウケイニセイ、そしてメイセイオペラ、トーホウエンペラーなど枚挙にいとまがない。
 ならばこうも言えるのではないか。馬の個性をジックリ把握しながら勝ち星を重ねていくのが菅原勲騎手、どんな馬でも瞬間的に判断できるのが小林騎手、と。
 歩んできた足跡もタイプもまったく対照的な両騎手だからこそ、永遠のライバル足りえるのだ。

【文:松尾康司 写真:佐藤 到】

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